プログラミングスクールに通っただけでソフトウェアエンジニアにはなれない

tl;dr

  • プログラミングスクール通ってたけど、今はまずまずのソフトウェアエンジニアとして働いて飯を食っていけている
  • プログラミングスクールだけだと大したことは学べない
    • 同等、それ以上のことをドットインストールやN高で学べる
    • モチベーションを保つためには良いかもね
  • プログラミングスクールで学んだことだけが武器の場合、しょうもないところで働くしょうもないソフトウェアエンジニアらしきものにしかなれない
    • コードを書く上で基本情報技術者程度の知識もなかったらキツい
    • ソフトウェアエンジニアの仕事はコードを書くことだけじゃないから、それ以外のスキルも必要だと理解しといたほうがいい


プログラミングをして飯を食っている。なので、男子小学生のなりたい職業1位の職についているわけなんだけれど、元々はプログラミングは全然できなくて、30歳になってからやり始めた人間だ。プログラミングを習得してからはWEB制作 -> スマートフォンアプリケーション開発 -> スマートフォンゲーム開発、みたいな感じで、自分の興味のある領域の開発をやれていると思うし、徐々に技術的なレベルに関してはステップアップした職場で働けているとも思う。給料に関してもまあまあ悪くない感じで、転職するたびに多少なりとも上げてもらってはいる。ここらへんのプログラミング始めた話についてはこちらに書いている。
xkxaxkx.hatenablog.com


ここで書いている通り、俺はプログラミングを習得するにあたって、プログラミングスクールに通ったんだけれど、正直スクールで学んだことよりも、自分で技術書やチュートリアルをやって、自分が作りたいウェブサービスを作ったことのほうが今に繋がっている。所詮、こういったプログラミングスクールで学べることの全ては当時でもドットインストールで学ぶことができたし、いまだったらN高で習得することができる。だから単純に「プログラミングができるようになりたい」というだけだったら、それらのサービスを通してやっていくだけで十分だし、コストも何十分の一くらいで抑えることができる。では、スクールに通ったことが全くの無意味だったか、というとそうではなかったかな、とも思っている。
一番大きかった部分としては、普通に割と忙しく仕事しながら、並行して勉強するのってまあまあしんどいことではあるんだけれど「カネ払ってんだから、ちゃんとやらないと」みたいにモチベーションを保つことができたという点だ。こういうモチベーションがあったからこそ、カリキュラムで与えられたものをしっかりこなしたし、自分で技術書を読んだりして、知識を習得できたとも思う。
俺が通ったスクールは転職活動サポートもあったりしたんだけれど、結局は自分でpaizaで競技プログラミングみたいな問題を解いて探した制作会社に転職した。だから、コスパという点ではめちゃくちゃ悪かったと思うんだけれど、スクールに通った事自体に関してはあんまり後悔はしていないかな。

一つ言っておかないといけないのは、俺はプログラミングを学ぶ前はSIerとして上流工程のSEとして働いていた、という点だ。基本情報技術者程度の知識があったり、仕事の中でSQLも書いたりもしていた。また、WEBのソフトウェアエンジニアとして働くにあって、コードを書けることも重要なんだけれど、WEBだとディレクターやPO/PM、ゲームだとプランナーやプロデューサーと要件を詰めていって、それを設計に落とし込む、というのも重要な仕事。そういったこともソフトウェアエンジニアとして働く前から経験していた、という点も相当デカかったなーと思う。もし、これらの経験や知識が全く無くて、単純にプログラミングスクールに通っただけだったら、たとえ転職できたとしてもしょうもないSESで低い給料で働く、技術力の低いプログラマーになったんじゃないだろうか。なぜかというと、プログラミングスクールで教えることってハッキリ言ってアプリケーションを作る上での上辺でしか無いため、結局それだけだと上辺だけで全く奥行きのない「Ruby On Railsでアプリケーションらしきものを作ることができる人」にしかならないし、「ブラウザにURLを打ち込んで、画面にWEBサイトが表示されるまで」をちゃんと説明することもできないはず。だから、職種によるけれど、例えば営業とかで全然仕事ができなくて、プログラミングさえ覚えれば俺は変われる!とか思っている人には厳しいと思う。

あと、プログラミングを習得して3社で働いていて、同僚や受託で入ってきたいろんなエンジニアと一緒に仕事してきたんだけれど、俺以外にプログラミングスクールに通った経験のある人って一人もいない。これがどういうことか考えてみると良いかも。それから、自分の場合は周りにいたエンジニアにも恵まれてラッキーだった。彼らから学ぶことってすごい大きいものがあったし、そういうのがなかったらめっちゃしょうもないエンジニアのまま死んでいっただろうな。

だから、個人的にはプログラミングスクールに通うこと自体に関しては反対はしないんだけれど、コスパはめっちゃ悪い、っていうことと、スクールに通って得るカリキュラム以上のことを自分から学び取らないとしょうもない結末を迎えることになるよ、あとは運、って感じかなー。

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思えば、2020年という年の始まりは俺にとって最高だった。応援し続けてきた地元のフットボールチームがタイトルの獲得、つまり優勝という栄誉に輝いたことだった。長年、苦しみ続けてきたチームが初めて獲得したタイトル。これでこの一年間やっていけるぜ、などとその時は思っていた。だけど、俺は知らなかったんだ。BESTなのはその一瞬だけ。少し時が経てばただ終わったことでしかないってことだ。現在という一瞬を常にBESTで更新していかないと満足しきれないんだよな、ということを痛感した。
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何かと気が滅入ることが多くて、珍しく気持ちがダウナーな感じに沈むことが多かった。そういう時、様々なものに救われたりするんだが、やはり音楽だった。俺の現在の生活において、音楽というのは大きなウェイトを占めることはなくなった。ただ、それでも、ふとした時に耳に入ってくる音楽が俺を生かしてくれたりするんだよな。





しょっちゅう「死」についてよく考えた2020年だった。これは自失をする瞬間が限りなく減ってしまったということに起因するように思う。あと、身内の死もあったりした。希死念慮があるわけではなく、むしろその逆だったりするのだが。「生を受けて存在してしまうことは常に深刻な害悪、苦しみである」みたいな反出生主義的な思想に関しては全面的に肯定はしないものの、ある種の真理であるよな、と思う。「死」という(少なくとも俺にとって)最悪な結末、存在から非存在になるという最大の苦しみからは決して逃れることはできないのだから。それでも、そういう苦しみのなかでも善きものとして存在していきたいなー、それが最善だよなー、と思ったするようになった。そんなわけで、毎月何千円くらいだけれど、慈善団体に寄付するようになった。もしかしたら、その何千円が存在することの苦しみにもがく人にとってのモルヒネになるかもしれないから。

かつての職場に別れを告げて、新しい場所で働くようになった。今思えば、これまで働いてきた中で最も「友人」と呼べるような人が多い職場だった。それでもそこから離れる決断をしたのは、人生のままならさの成すところではある。

2020年も終わっていき、全て過去になっていくけれど、それらは全て地続きで先へ繋がっていく。

この文章は2020 Advent Calendar 2020の17日目の記事として書かれました。
昨日は youkosekiさんによる 2020年のタイムマシン でした。明日は dannna_o さんです。

中村屋のレトルト麻婆豆腐、うまい

麻婆豆腐が好きだ。特にここ最近はいろんな店で花椒をたくさん使った、いわゆる本格的な辛くて痺れる四川麻婆豆腐が食べることができる。そういうのが好きなので、昨今の麻婆豆腐事情というのは大歓迎だ。辛いもの好きなので絶対に一番辛いやつを頼む。

んで、家でもたまに作ったりする。「麻婆豆腐の作り方」を四川料理のスゴイ人に教わったら、目からウロコが3回落ちた - メシ通 | ホットペッパーグルメを参考にして。ただ、別にめんどくさい料理じゃないんだけれど、ちゃんと作ろうと思ったら、30分くらいかかる。

で。ここ最近の事情(外にはゾンビがたくさんいるので、うかつに外出できない)があるので、ご多分に漏れず、家で仕事しているんだが「昼飯に麻婆豆腐食いてー」という気持ちに急になったりする。しかし、外に食べに行く時間もないし、外に出たら出たでゾンビに襲われるし、かといってちゃんと作る時間もない。そういう時のためにレトルトの麻婆豆腐という人類の叡智があるんだが、如何せんマイルドな感じ、というか旧来の日式麻婆豆腐が多くて、俺が求めているような感じの麻婆豆腐じゃない。中華名菜 四川辛口 麻婆豆腐 - 中華・アジア惣菜 | 日本ハムがかなりいい線いってたんだけれど、最近全然売ってないんだよなー。発売中止になった?知らんけど。まあ、そういう感じなので、コンビニで麻婆豆腐弁当みたいなやつ買ったりしていて、レトルトを見限っていた俺が最近見つけたのがコレ。

一応、レシピにネギも使えって書いてるけど、豆腐だけで十分だった。これに追いラー油と追い花椒するとかなり良い感じの本格四川麻婆豆腐っぽいものがものの5分で作ることができる。ので、家に常備するようにした。

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...すげぇアフィ記事みたいになっちゃったよ。

『FF7R』は『PS4版のFF7』じゃなかった

FF7R、クリアした。酔うのでちまちま1時間くらいで刻みながらやってたけれど、最後は一気にクリアした。

ファイナルファンタジーVII リメイク - PS4

ファイナルファンタジーVII リメイク - PS4

  • 発売日: 2020/04/10
  • メディア: Video Game

んで、感想なんだけれど、タイトルの通りだ。『FF7R』は『PS4版のFF7』じゃなかった。これは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』は『新世紀エヴァンゲリオン』ではない、というのと同義である。RemakeというよりRebuildと言った方が正確なんじゃないか?と感じた。クリアした後に感想の記事を読んだり、ツイートを見てみたんだけれど、賛否両論で『PS4版のFF7』を求めていた人たちは怒ったりしていた。まあ、気持ちはわからんでも無い。でも、俺はこれはこれでアリじゃないかなー、と思う。単純にこれから俺の知らんFF7のストーリーが繰り広げられていくというのは楽しみである。ただ、原作やってないと分からんところも所々あったし、何よりも受け止め方が全然違うだろうとは思うけれど。


ド嬢の5巻を読んだのだが、清涼院流水の『コズミック』が満を辞して(?)出てきて笑ってしまった。ただ、俺が『コズミック』を読んだのって確か中高生くらいの時で、その時は「なんかめちゃくちゃだけど、これはすげー!」って素直に思っていた、ような気がする。その後、再読したことがない。それにもかかわらず『コズミック』をネタ本、壁本という認識を俺自身が持ってしまっているのは、世間(というかインターネット)の意見を自分の意見にすり替えてしまっているのではないだろうか。この本に限らず、他人の意見・感想・見識を自分のものとすり替えてしまっているというのは多々見受けられるし、物事に対する認知に関してそういった側面があるというのは絶えず意識しとかなあかんよなあ、と思う。

「お前が外に向けて発信している意見は本当にお前の意見なのか?」なんてな。