ミニサイズを2つ注文する勇気 - 2019/12/11

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平民金子(id:heimin)の単著が出たので買った。酒飲みながら読んだ。まだ全部読んでないけど。おれは神戸で生まれて育って、今東京におるわけだが、平民金子が書いている神戸というのは、おれが知っている神戸でもあり、おれが知らない神戸でもある。大体20年くらい神戸には住んでいたんだが、10代のころなんて、行動範囲も狭いし、酒も店で堂々と飲まないし、カバーできる範囲なんてたかがしれている。東山商店街にはしょっちゅう行っていても、稲荷市場はあんま知らん、など。そういう10代のガキのおれが知らなかった神戸のことを平民金子の文章でおれは知る。そして、知らなかったことでも、どことなく「神戸っぽいなー」とか思いを馳せたりする。文章を通して、神戸に帰ってきたような感覚に陥る。もしかしたら、いま神戸に住んでいる人よりも、元々神戸に住んでいて今は別の場所で住んでいる人のほうが、この本に書かれている文章が刺さるんじゃないかな、という気はする。知らんけど。

まあ、こんなことを書くと、全然神戸に帰っていないような感じがするけれど、サッカーを見るためだとか、なんやかんや用事があったりで3ヶ月に一回くらい神戸に帰っている。そして、神戸の街に住んではいないものの、なんつーか、こういう関係性?みたいなものは悪くはないよなー、とおれは思うのだ。




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昼ごはんに食べたカレー。この店、ビリヤニもあって、そっちも食べたいなあ、と思っていたら、ミニサイズみたいなやつがあったので、注文した。写真は撮っていない。うまかったのだが、普通に量が多すぎた。カレーとビリヤニ、両方食べたかったら、両方ともミニサイズでいいな、と思いました。けど、あれじゃない?ミニサイズを2つ注文するのってどうなん?という気持ちが発生しがちじゃない?例えばだ。中華料理屋だと半チャーハン、半ラーメンが単品であったりするのだが、それってラーメンと半チャーハン、もしくはチャーハンと半ラーメンで注文されることを想定していると思われる。そういう、店の想定とは異なった注文をする胆力があんまりないんだよなー。あと、あれですよ。松屋とかだと白飯と納豆だけ、という注文をやろうと思えばできるけど、実際それをやれるか?という話にもつながる、ような気がする。

ハードコアで要られるか - 2019/12/11

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今日食べたラーメン。蒙古タンメン中本、どんどん値段が上がっている。五目味噌タンメンとかは1000円もする。値段が上がっている割に野菜の量とかが減っている気がする。旨いから食べるのだけれど、なんかなー、と思う。ただこれは中本が悪いのではなく、そうせざるを得ない経済状況〜!!!みたいなことを感じたりする。




仕事帰りに吉野家に行った。最近、あんまり吉野家に行っていなかったんだけれど、めちゃくちゃメニュー増えとるやんけ、ってなった。アジフライとか唐揚げ定食とかもあるんだなー。んで、ビールと牛皿とアジフライ食ったんだが、食いながら過去の吉野家にあった「一種のハードコアさ」というのは完全に失われてしまったよなあ、ぼんやりと思った。別に「吉野家ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ」ってのを求めているわけじゃない。そして、外食産業として生き残るために試行錯誤した結果の今なのだろうとは思う。そして、吉野家には今後も行くだろう。だが、おれ個人としては「これしかやらない・これしかできない」というメシ屋もやっぱり好きだなあ、と思った。まあ、チェーン店にそれを求めるのは酷だとは思う。

コロッケそばのコロッケに彩りは要らない - 2019/12/09

こないだ同僚と飲んで、記憶なくした、気がついたら自宅で全裸で寝ていた、という話を書いたけれど、今日出社して話を聞いたところによると、どうやら大暴れしていたようで改めて死にたくなった次第。本当に人前で酒を飲むのをやめようと思った。酒は一人で飲むに限る。そういうわけで酒飲まない関連の本を買った。

しらふで生きる 大酒飲みの決断

しらふで生きる 大酒飲みの決断

  • 作者:町田 康
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2019/11/07
  • メディア: 単行本
下戸の夜

下戸の夜

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 本の雑誌社
  • 発売日: 2019/06/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

以前、禁酒セラピーという本を買ったのだが、全然響いてこなくて、あほんだらこんなんおれの人生に必要ないわボケ、ってな具合で、ソッコーでbook offに行ったんだが、どちらかというと、こういう感じの「酒を飲まないのもいいんだぜ」がエッセー的な文章で書かれたやつを読んだ方がおれには響いてくるんじゃねーかと思って買った。無論、別に完全に酒を断つつもりはなくて、家では飲む。人前で飲まないようにするだけだ。

んで、今は町田康の本を読んでるわけなんだけど、相変わらずおもしろい。おもしろいのだが、酒をやめたくだりで、酒によって得る楽しみよりも、負債のほうが存分大きいものである、という話を読んでいて、思い当たる節が多すぎて死にたみが増したりなどした。




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コロッケそば。立ち食いそば屋で食事するときはコロッケそばを食すことが多い。ってか、コロッケそばあったらコロッケそばばっかり頼んじゃう。ただ、コロッケそばだったらなんでも良いわけじゃない。グリーンピースとかコーンとか入っている所謂ベジタブルコロッケ、っつーんすかね?お弁当とかに入ってたら、ふぅん、ってな具合で特に意識せず食ったりするもんなんだけれど、コロッケそばのコロッケがベジタブルコロッケだったら、おれの中の海原雄山が黙っていない。そんなの要らないんだよ。むしろ肉もなくていいっす。じゃがいもONLYでいいっすわ。おれは純度100%のコロッケそばだけが食べたいのだ。ちなみに今日食べた店のコロッケそばは純度98%ぐらいなので、良いのだよ。

あなたも老害になれる - 2019/12/08

誕生日を迎えた。すっかりもうおっさんと言われてもおかしくない歳になってしまった。ただ、別に歳を重ねること自体が嫌だとか、恐怖だとかはない。もちろん、歳を取ることによって病気になりやすいとか、体力が衰えていくだとか、そういうのは嫌ではあるのだが。しかし、それよりもおれが一番嫌、というか恐れていることは「自分が老害になっているのではないか」という点である。

老害という言葉はあくまでネットスラングであり、あまり書いたり言ったりするもんじゃないとは思うけれど、とにかくだ。そのように呼ばれたりするには様々な要素があるのだが、やはり「ああはなりたくないな」と思われる存在である。ただ、一方で自分が過去「こうなりたくない」と思っているような人物が持つ要素を徐々に持ち始めているな、という自覚はある。というか、そもそも「こうなりたくない」と感じるのは、自分の中にそういう部分があるからだろうなあ、と思う。まあ、それはともかく、都度「今の言動は老害のそれではないか」というチェックをやっていかないとだめだよなあ、と感じる。メメント・モリではないが「老害を忘るなかれ」というのを心に刻んでいこうかしら。




基本的にビデオゲームというのは楽しむためにやるものであり、日常生活のストレスを忘れるような遊戯であるけれど、オンライン対戦のゲームをやっていると、コントローラーを投げつけたくなるくらいのストレスが発生して、おれは何やってんだ...、という気持ちに度々陥る。しかし、対戦に勝った時のドーパミンがドバドバ出ている感覚は、たまらないものがあり、ギャンブル依存症と近いものがある気がする。ただ、あんまりイライラしてゲームやるのも何だから、一旦休憩してFF14に復帰しようかな、とも考えている。




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昼ごはんに食べたピザです。


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晩ごはんに食べた肉です。

さよならはダンスの後に - 2019/12/07

昨日は会社の同僚の家で飲んでいたのだが、最後の方全く記憶がなくて、気がついたらベットで寝ていた。全裸で。当然日記は書けていない。本当に何を話したか覚えていないのだが、またテキトーでいい加減なことをべらべら喋っていたんだろうなあ、と思うと自己嫌悪に陥る。あー、死にてえなあ、という気持ちになりながら歯を磨いて風呂をためて入ってリフレッシュした。




DAZNでヴィッセル神戸 vs ジュビロ磐田の試合を見た。4-1で勝利。別に負けても勝っても順位が変わるだけの消化試合ではあるんだけれど、ビジャの引退試合だし、最終節だし、ということで勝ってよかったー。磐田、降格組なんだけれど、わりと良いサッカーをやっていたように思う。が、完全に選手の質で押しつぶした、という感じがある。ポルディがハットトリックを決めたけれど、暑くない時期だといいパフォーマンスだよなー、と思う。今年でいなくなるとか、色々言われているが、やっぱり残ってほしい。

そして、今日の試合はビジャは引退試合でもあったわけだけれど、これが彼と戦う最後の試合ではない。あと天皇杯の試合が残っている。だから、まだお疲れ様とは言わない。今シーズンの最後、そして、2020年の最初、笑うのは俺達だ。





「髪を切った」と言った場合、散髪に行ったことを示すが、正確には「髪を切られた」だよなあ。ただ、その言い方をすると無理矢理切られた感、通り魔感があるよな、とも思う。ともあれ、今日は髪を切られた。