味の素


 化学調味料、というと何かと否定されがちな存在だ。その存在自体もそうだし、それを使った料理も遠慮されがちだ。オーガニック志向や健康志向の元、無化調を謳い文句に挙げた料理店などはそこらじゅうにある。僕自身、化学調味料が健康に及ぼす影響などについて、あんまり詳しくないのだけれど、なんとなく「使っていない方が良いのだろうな」と思う。そういう風に思うんだけれど、自分自身が料理する時は頻繁にというほどでもないけれど、わりかし使っている。ただ、それは「便利だから」だとか「化学調味料を使用することによって料理が美味しくなるから」という理由ではない。なんとなく「使いたいから使う」というよく分からない理由で使っている。

 なぜ使いたいのか。それは「その料理をジャンクなものにしている」という感覚が味わえるからだ。もちろん、化学調味料を使用した料理がジャンクである、という『美味しんぼ』のような思想を持っているわけでは無い。無いのだけれど、なんとなく「ジャンクな料理作ってんなー」という気分になる。そして、そういう気分になりたいときがある。身も心もジャンクなモノに浸りたい、というような時が。マクドナルドやラーメン二郎に行けば、そういう気分に浸ることは簡単なのだけれど、自分のこの手でジャンクな料理を作りたい時がある。そして、そういう時に味の素は非常に便利な存在である。安いアメリカ産の豚肉ともやし、他の料理で余ったキャベツ、玉ねぎを塩コショウ、そして味の素を使ってさっと炒める。それを一人で食べたりする。そうすると「ダメだなー」という気分とともに「ちゃんとせな」という感情も頭を擡げるので、なんか良い。

 ところで味覇なんかも化学調味料の一種だと思うんだけれど、コレを使う時はあんまりそーいう気分にならないのはなんでだろう。どっちかというと「ちゃんとしている」という気分になる。ウチの母親は味の素は使うことはなかったんだけれど、味覇は使っていたから、そういう気分になるのかもしれないな。