インプットしたものをアウトプットするのが下手すぎてマジヤバイ

 文章を書くにしろ、音楽を作るにしろ、絵を描くにしろ、何かしらのアウトプットをする時にはインプットが必要だと思っている。ブログを書く場合だと他の人のブログを読むとか、なんかのニュースを見るとか、日常で起きた事とかそーいうインプットを自分の中で解釈した上で、オゲゲーとアウトプットをする。これは俺の場合なんだけれど、多分他の人もそんなに変わらないんじゃねえかなー、と思う。ほんで、この自分の中でインプットしたものを解釈して噛み砕いて、自分なりの言葉でうまーく表現する人とクッソ下手くそな奴がいると思うんですけれど、俺は完全に後者です。特に顕著なのが読書感想文。こう、なんつーんすかね。読んでいて理解はできているんですよ。多分。だけど、読んだものを言語化する術がイマイチよう分からへん。頭の中ではイロイロと渦巻くわけだけれど、ペッと吐きだしてもそれがただのあらすじに終始していることがしばしばある。そうならへんように、一応書いてはみるものの結局何が言いたいのかよう分からん内容になっていることがしばしば。小学校の時の読書感想文もちゃんと書いていたんだけれど、書いた後に親に読ませたら「ただのあらすじやないかい!」って6年間言われ続けてた。ほやなあ、っつって書きなおすんですけれど次は「何が言いたいのかよう分からへん」と言われた。やばい。全く成長していない。

 で、読書感想文だけじゃなくて、俺音楽好きなんですけれど、音楽の感想書くのもクソ下手です。これはこういう曲で、とか書くんだけれど、ぶっちゃけ聴いたことをそのまま書いている、という「あらすじを書いているだけ」に終始しがちだし、噛み砕いて吐きだしたら、自分で読んでもよう分からへんことになっている。自分で読んでよく分からないんだから、他人が読んだらなおさらやろうなあ、と思っている。ブログ書くの向いてないのか。あとは、圧倒的なボキャブラリーの貧困さ。もうヤバイ。マジヤバイ。ヤバすぎてヤバイっす。

 そういえば、一か月前くらいですかね。こんなんが流行ってました。俺は「うう脳」で、我ながら「せやな」と思った。とはいえ「せやな」で諦めるのもアレなので、頑張ってうまーいこと感想とか伝えられたらいいんだけれど、町田康の『告白』に出てくる熊太郎のように思弁的なタイプだと思うので、あががががっつって、もがいています。もがきつづけて、もう何年?知らんわ。

 けど、すげえもんっつーのはもう「すげえ!!」くらいでしか表現できないんですよねえ。理屈やら知識をこねくりまわして練ってねって練りまくっても、もうすごいものはすごいんすよ。かっけーもんはマジかっけーんすよ。メシレポなんかもありますけれど、うまいもんはうまいし、マズイもんはマズイ。この歯ごたえが云々だとか、しゃっきりぽんだとか、言うこともできるわけだけれど、結局「マジうまい」で済む話でもある。とはいいつつも上手い感じで伝えたいという欲もある。

 うーん。この文章も何が書きたいのかよう分からへんけど、多分タイトルの件は伝わったでしょうか。伝わったからどないやねん、って話でもありますけれど。ところで今回の記事はトピックが「読書感想文」だったので書いてみたんだけれど、読書感想文は子どもを本嫌いにする原因になるという側面もあるとは思うんだけれど、一方で何かしらのインプットを自分なりにアウトプットする訓練にはなるとは思う。ていうか、殆どの事柄は良い面と悪い面があるので、「これはマジで真正のクソ!」と切り捨てることはなかなかできまへんよね。「マジで真正の」ってなんだか二重表現だわね。


トピック「読書感想文」について