音楽で「ひとつ」になるな。
音楽で「ひとり」になれ。
音楽で自分になれ。取り戻せ ぶっ放せ 存在。
タワーレコードのポスターにeastern youthが採用されたときに掲載された吉野氏の言葉。
「絆」だとか「ひとつになろう」とかそういう言葉、モノの言い方が持て囃されている。今日も「オリンピックで世界がひとつに」みたいな言葉を見た。何かを媒介して人と人がつながろう、一つになろう、みたいな風潮。めちゃくちゃ気持ち悪い。というか、もっと人は「ひとり」になるべきだ。どうやっても「ひとつ」になんてなれやしないし、そんなことができるというような幻想は様々な軋轢を生み出しているように思う。
今日のパンデミックによって先に述べたように「ひとつになって乗り越え、絆を取り戻そう」みたいな言葉をしばしば見かけるのだが、俺はむしろこの機会に孤独であることを取り戻すべきだと思う。それは友達と縁を切るとか、家族を離散するとか、そういうことではない。他者はあくまで他者であり、自分とは異なる存在であり、決して分かりあえないことを認識すること。それであっても、同じ社会やコミュニティに生きる人間として、その存在を尊重すること。それを強く認識して生きること、そして一種の諦めを持つことが「孤独」であると俺は思う。
一般的な「絆」文脈においては自身と他者を同一視した挙げ句、「同じものを目指して同じ考え方をしましょう」と述べているようにしか見えない。そういう点で強い違和感を覚える。そういうのは高校生の文化祭とか体育祭で終わるべきであって、いいトシこいた大人たちがアホみたいに「絆」という言葉を雑に使っているとげんなりとしてしまう。
余談だけれど、ロックという音楽は孤独なものであるべきだと思っている。なので、終演後のステージからの客との集合写真みたいなやつもすげー嫌。ましてやひとつになるなんてまやかしにもほどがある。