吉野家で豚丼を食べる

前の仕事場の近くにはすき家の店舗しか無くてなんだかガッカリな気分だったのだけれど、今の仕事場の近くには吉野家の店舗があるのでお昼ごはんを食べるときにちょくちょく行ったりしている。吉野家といえば、もちろん牛丼、という感じなのだけれど、最近のおれというと何故だが牛丼のモードではなくて豚丼ばっかり食べている。おれは関西人で、関西人というと豚肉よりも牛肉に対してプライオリティを置くはずなのだが、ここ最近のおれは「牛丼より豚丼の方がイケてんじゃね?」みたいな感じである。シティボーイのスタンダードミートはポークだぜ。いやあ、なんだか豚丼のあっさりした味の中にある脂っぽさ、みたいなのがたまらなく好きなんだよね。とはいえ、吉野家豚丼を食べているとなぜだか「このままでいいのかな、おれ」みたいな感情が芽生えてくる。ここでいう「このままでいいのかな、おれ」というのは将来の生活とか仕事に対するアレとかではなく…いやまあ、そういう風に思う部分はないことは無いのだけれど、ココでのソレはアレでは無くて、「吉野家で牛丼を食べずに、豚丼を選択してしまうおれは正しいのか」みたいなそういうアレです。例えば天一であっさりを頼んでいる人を見たりするとおれはわざわざ天一来てんじゃねーよ、とか思ったりしてしまう。もちろん、天一のあっさりが好きだという人もいるとは思うのだけれど、やっぱりいやいやそこはこってりでしょ、という感情を押さえつけることはできない。その店にわざわざ来ているならレペゼンその店、みたいなモノを食べないとなんつーかこー、その店に来た意味がないんじゃないのか?という風に思ってしまう。やっぱりスタンダードは偉大だと思うのですよ。天一以外のラーメン屋とかでもあるじゃないですか。スタンダードな看板メニューとスタンダードをアレンジした激辛ラーメンを置いているような店が。おれは激辛好きだけれど、やはりスタンダードを尊重し看板メニューを一寸の迷いもなく注文するような人間だ。おれはそういう風にしてこの人生を歩んできた。そのような思想(?)を持っているにも関わらず、おれは豚丼を頼んでしまう。「吉野家は牛丼」という思いと「吉野家豚丼を食べたい」という思い。ふたつの重しがおれにのしかかる。そしてどちらも肯定する。『1984年』でいう"二重思考(ダブルシンク)"とはこのことか、などと思ったりしつつも。吉野家豚丼。この存在により、自らの生き方を見つめ直す時が来たのかもしれないな。そう思いながら今日もおれは豚丼を食べたのだ。