電車で化粧

あんまりこの件について情報を追っているわけではないので、詳しくは知らない。んで、おれは別に知らん人が電車で化粧したりしてようが、特に気にしたりはしないのだけど、例えば一緒に電車に乗ったカミさんが化粧をしだしたら「家でしてきーや」くらいは言うかもしれないので、おれも内心は電車で化粧をするという行為に対してみっともないとかカッコ悪いな、とか思ってるのかもしれない。とはいえ、そういうのって思ってても言ったり、書いたりはしないよなー、と思う。電車の中とか街中でダサいファッションしている人を見て「うわー、ダサいなー」とか思ったりもするけど、そういうことは別に言わなくてもいいし、書かなくてもいいことだと思う。だけど、そういう「言わんでもええやん、思ってるだけでええやん」というようなことを何でもかんでも表に出す人がすごく多い。これは誰でもお気軽に使えるTwitterとかの所為なのか何なのかは分かんないけど。まあ、おれ自身はそういう思っているだけのことをTwitterなりブログなりに書いてもらって、それを読んだりして、あーだこーだ言ったりするのも好きなことではあるんだけど。ただ、これは言ってもいい、書いてもいい、といった判断のプロセスがあった方がよいと思う。しかし、このプロセスがすっ飛んでたり、ぶっ壊れてる人も沢山いて、先に述べたダサいファッションをした人を見るにつけ、Twitterなどで「前に立ってる人の服すげーダサい!」みたいな感情やらをノータイムで書き込んだりする。そういう人を見るにつけ、なんだかこれはすごい怖いことだよなー、とおれは思うわけです。今はそういう「思ってても言わんでええ」ということが様々なとこで可視化されるようになってしまっているので、そりゃ色んな軋轢や揉め事が起こるのは当然じゃないだろうか。例の広告についても、そういう感情とかが可視化されるようになってしまったことが要因の一つなんじゃないかなー、と思う。

もちろん「思ってても言えなかった」ことも可視化されるようになって、社会がよりよい方向に向かうケースもあるんだけど。

追記

business.nikkeibp.co.jp

これ読んだ。

駅貼りのポスターや深夜のテレビCMの中にマナー広告の占める割合が増えている。理由は、日本人のマナーが低下しているからではなくて、われわれの「他人のマナーへの許容度」が低下しているからだ。

この他人の行為に対する許容度とか寛容さが低下しているという指摘は正しいとも思う。けど、元々寛容ではなかったけど言わなかった、だけど、今は気軽にそういうことが言えてしまう、という部分も少なからずあるんじゃないかなあとも思う。