インターネット雑文マンの本分

ここ最近は写真ばかりを載っけていて文章書いていない。いや、一応音楽のこととかをちょこちょこと書いているけれど、それ以外の雑文を以前のような頻度で書けていないような気がするのでインターネット雑文マンとしてはあんまり良くないかもなあ、と思っている。別にインターネットで文章を書くこと、公開することについて特に意味を見出しているわけではない。ただ、全然書かないといざ書きたいことに出会った瞬間とかに上手く書けなくなってしまうのではないだろうか。それは写真でも同じじゃないかな、と思っている。僕は毎日毎日写真を撮っているけれど、それはとにかく量を撮らなければいけないというある種の強迫観念とともに、撮りたい被写体と出会った瞬間に撮りたいように撮れるように、という準備でもあると思っている。そうでもないかな。わかんないけれど。まあ、とにかく文章もそうあるべき、「べき」って言葉嫌だなあ、と思うんだけれど、仕方ない。そうあるべきなんだろう。特に僕にとっては。僕は文章を書くならば、良い文章を書きたいと思っている。それは単純に自己満足のためなのだけれど、自分でコレは良いという文章を10割の打率で書ければそれは凄いと思うし、実際そういう人もいるのだろうけれど、僕はセンスとか才能とかが足りないから写真と同じようにとにかく量産するしか無い。量産するので多くはゴミみたいなモノが産まれてしまうのかもしれないけれど、そのうちわりかしいい感じのやつができる。数撃ちゃ当たる、というのはわりかし否定的に見られがちな言葉ではあるけれど、誰であろうがいっぱい撃てば一つや二つ当たりが出るってことでもあるので、そんな感じでやっていこうかなあ、と思っている。写真も文章も。ってか、写真も全然枚数足んねえよっ!

…なんてことを書いてみたのだけれど、雑文なんて気まぐれにやるのが一番だとも思う。書きたくなったら書けばいいし、書きたい気分じゃなかったら書かなくてもいい。っていうか、やっぱアレだな。文章で文章のコトを書くという行為はなんだかとても格好悪いな。