嫌いな奴は徹頭徹尾嫌いでありたい

◯◯が好きだ。という増田を読んだ。

要するに、いかに相手との共通の話題を見つけるかが大人の世界では重要なのだ。これはキャバ嬢に限らず、営業先などのビジネス時の会話でも必要なスキルだと感じた。相手の好きそうなものを予めインプットし、それを面白おかしくアウトプットして話題を作る。僕は学生時代、9:1の1の方をインプットしすぎたせいで、大人になって“なにもない人間”として見られるようになってしまった。


分からんでもないかな、と思う。自分の趣味として能動的にインプットしたわけじゃなくて、テレビとかネットで勝手にインプットされてきた知識や情報とかのおかげで会話などを乗り切ったことは何度もある。ただ、だからといって、そういう場面のために積極的に興味の範囲外の知識をわざわざ取り入れるほどキャパシティは大きくない。脳みそも時間も。無駄なことが役に立ったりするっていうのはよくある、ってのは分かってはいるんだけど、やっぱり積極的にインプットする知識/情報は僕が関心のあるものを優先したい。さて、これから書くのは引用した話とあんまりないっつーか、全然関係ない話です。というか、どっちかっつーと関係があるのはこの増田に対するid:yuki3moriさんの以下のブコメです。

◯◯が好きだ。

話したい相手がいるときは無理にでも共通項を見いだしたい気持ちは少なからずあるなぁ。

2015/04/06 06:42


これはよくあると思う。少なくとも僕はこういう傾向があると思う。この人となんとなく話してみたいなー、この人と仲良くなったらなんか面白そうだなー、という相手がいた場合、なにかしら共通の話題がないだろうかと色々と探ってみる。いや、意識的にそういうことをしているわけじゃないのだけれど、後から振り返ってみると、そーいうことをしていることが多い気がする。僕はこーいうの好きなんですよー、あなたはどーですかー?みたいな感じで。んで、共通項があった場合はその人の好感が上がったりする。すげえ単純な人間だな、と自分でも思うのだけれど、そう思ってしまうので仕方がない。同じ音楽が好きだったり、サッカーが好きだったり、野球が好きだったり、その他諸々、親しくなりたいと思っている相手と共通項があった場合は少し嬉しくなる。実際にそのおかげで親しくなったりする場合もある。もちろん、共通項があったからといってウマが合う保証があるわけでもないし、その人が「(僕が思う)良い奴」とは限らないけれど。また、共通項が無かったからといって好感度が下がったりするわけでもないし、「この人とは仲良くならなくてもいいか」とかは別に思うわけでもない。実際、親しい人や友人達がみんな僕と共通と趣味や嗜好をしているわけじゃない。むしろ、違う奴のほうが多い。

さて、親しくなりたい相手がいる反面、コイツとは仲良くなりたくない、関わりたくない、むしろ嫌いだ近寄るなカス、という奴もいる。親しくなりたい人よりも数は少ないけれど、何人かはいる。そんで、そういう奴の場合は僕と共通項があってほしくないと思う。全く違う趣味/嗜好/思想をしていて欲しいと思ってしまう。当たり前だけれど、共通項があったからといって嫌な奴が良い奴になるわけじゃあないし、それがあったからといって「こいつと仲良くなろう」とは微塵も思わない。そいつが僕の好きな◯◯が好きだからといって、その◯◯が汚されたと感じたり、嫌いになったりするわけでもない。だけど、こうなんか嫌なんですよね。嫌いな奴の事は徹頭徹尾嫌いでありたいし、僕と全く違う人間でいて欲しいと思う。なんでかっつーと、その方がスッキリと安心して「コイツ嫌いだわー。」と思えるからだ。まあ、共通項が全くない人間なんてすげえ少ないとは思うけど、嫌いな奴との共通項は少ないに越したことはない。去年、飲み会かなんかに行ったら僕の嫌いな奴も参加していた。どういう流れだかで政治の話になってしまったのだけれど、その会話の中で嫌いな奴が「田母神に票を入れた。他にマトモな奴がいない。」と言っていたので、すげえ安心した。そして、もっと嫌いになろうと思った。なんつーか、そういう感じです。