火の鳥を読むと爺さんと婆さんを思い出す

ドカベン読んでると、死んだばあさんを思い出すんだよなあ。それは死んだばあさんがドカベンに似ていたとかではなくって、祖母の家にしかドカベンのコミックがなかったからなのだ。

2014-10-16 - 平民新聞

 俺は手塚治虫の『火の鳥』を読むと爺さん婆さんを思い出す。それは死んだ爺さんが火の鳥っぽかったとか、まだ生きているけれどボケかけている婆さんがロビタっぽいとかではなくて、爺さん婆さんの家に火の鳥があったから。しかも普通の単行本とかじゃなくて、豪華愛蔵版?とかそーいう感じのやつだ。けど、昔は『火の鳥』すごく読んでて怖かったんだよなあ。もう、10年近く読んでいないのでうろ覚えの部分が非常に大きいんだけれど、こう、輪廻転生的な部分とか。俺、死んでも人間になれるんやろうか、とか。ロビタの話にしたって、俺が見ている他人の姿は本当の姿じゃないかもしれないし、俺が見ている俺は他人からは俺が認知している俺に見えていないんじゃないか、だとか。そーいう、不安とかを火の鳥を読んでいて感じたなあ。小学生の時とかやっぱり多感ですし。あと、俺の死生観、というのは幼少期に読んだ火の鳥の影響っていうのは多分に受けているんじゃないかなー、と今思った。

 そういえば、しばらく前にTwitterでもつぶやいたと思うんだけれど、こないだ電車乗っていたら小学一年生くらいの子どもとそのお母さんが電車に乗っていて。その子どもが手塚治虫ブラックジャック読んでいたんだけれど、ニッコニコしながらお母さんに「この漫画面白いー」って言っていてなんかいいなあー、と思った。良いものはどこまでも良いもんだし、今のガキにも伝わるもんなんだなー、とも思った。ちなみに手塚治虫の漫画で一番初めて読んだ漫画は「三つ目がとおる」なんだけれど、コレのせいで所謂ボクっ娘に未だに少しながらトキメイてしまう。和登さんは罪な女だ。ドカベンはちゃんと読んだこと無い。野球好きやけど。

 野球といえば、阪神がCSファイナル三連勝ですよ。憎き巨人相手に。けど、こっから俺は何回も裏切られているからな。奴らは簡単に三連敗しやがるから。勝つまで信じないようにしているけれど、やっぱりちょっと信じているし、期待しているし、応援している。酒飲んで日記書いている。あと、日記のフォント変えてみた。