ヒップホップやっている黒人に憧れてヒップホップやっているわけじゃないし、着物を日本人に憧れて着物を着ているわけじゃないんじゃないの?


 先週の話だけれど、上記のツイートが話題になってた。ていうか、軽く炎上してた。また、ライムスターの宇多丸がこの件に関してラジオで言及していた*1。んで、宇多丸が言及するまでスルーしていたんだけれど、ちょっと気になったので色々と探してみた。どーやらこのツイートには前後の文脈があってその中の発言みたいなので、その前後も抜き出してみた。

昨日、友達と誰をすごいと思うかという話をしていた。孫さんはすごい、とか、ガンジーはすごいとか、いろいろと出たけれど、こういった憧れは大きなエネルギーになる一方で幾つかの問題もはらんでいるなと考えながら電車に乗った。


憧れの人は、目標だけれど、仮想敵ではない。頑張って近づければ仮想敵として想定できるのかもしれないけれど、多くの場合は憧れのまま終わる。ある種憧れの人を設定した時点で、憧れの人を越えないという意識を自分のなかで持ってしまう事にもなる。


昔、僕の憧れの人は伊東浩司さんという人で、この人になろうと思っていろんな事を見て学んだ。所がそれで随分長い間スランプに入ってしまった。しばらくして気がついたのは僕と伊東さんは体型からして全然違うタイプだという事。コンプレックスと憧れが混じるとなれないものになろうとしてしまう。


悲しいかな、どんなに頑張っても日本で生まれ育った人がヒップホップをやるとどこか違和感がある。またアメリカ人が着物を着ても最後の最後は馴染みきれない。私達は幼少期の早い時期にしみ込んだ空気を否定できない。


昔あるジャズシンガーが、ジャズを真似していてうまくいかなかったけれど、日本風のジャズを作ればいいんだとわかった時にとても勇気が出たと言っていた。それに感動したのを思い出した。


 とのこと。要は「憧れの人のマネをしたって、結局別の人間なんだからその憧れの人にはなれないぜ!」的なことを言いたいんだろうなー。いや、そりゃそうなんですけどね。例えば、俺は甲本ヒロト好きで且つ憧れたりしていたんだけれど、俺はヒロトにはなれないし、ヒロトみたいなファッションしてもヒロトにはなれない。ヒロトにはすげー憧れてたけれど、ヒロトの真似みたいなことはしないようにはしていたし。たまに有名なアーティストのライブ見に行くと、そのアーティストのコスプレっつうか、そっくりな髪形/ファッションしている人がいて、たぶんその人はそのアーティストにスゲー憧れてんだろうなー、みたいなことを思うんだけれど、俺はそれが超絶ダサいと感じる。

 で、こう、なんですかねぇ。為末氏の言わんとしていることはわかるっつうかド正論だと思うんですよ。ド正論だとは思うんだけれど、件の炎上ツイートにはやっぱりちょっと違うくねえか?と思うのですよね。たとえば、件のツイートに書かれている「アメリカ人が着物を着ても最後の最後は馴染みきれない」という点ですけれど、まあ、それはそーなのかもしれんけれど、ちょっと憧れ云々の話とかとポイントがズレてるんじゃないの、って思う。問題のヒップホップの下りでもそうでして、これは「憧れ」がどうのとかという話ではないと思うのですよ。アメリカ人がヒップホップ/ラップをやっているのを見て音楽的にかっこいいなー、日本人だけどウチらもやってみようかなー、的な感じでやっている人が多くてたとえば「俺は黒人になりたいからヒップホップやってんだ」とかそういう人ってあんまりいないと思うし、いたらめちゃくちゃダセえなと思うし。着物の話も別にアメリカの人が着物を着ている日本人に憧れて着ている、ってわけじゃないだろう。こう、前後の文脈を追っていくと余計「おかしくね?」と思うのですが、どうでしょうかね。それとこれとは話が別だろ、と思う。

 ちなみに俺は日本のヒップホップ/ラップも好きですが「日本語でラップやってんのはダサい」という人がいるのも知っているし、それはその人の感性なので、ああそうすか、って思うくらいなので、為末氏が「違和感を覚える」と述べていることに関しては特にどうとも思わない。ただ、日本でヒップホップをやっている人の多くが真似事じゃなくて、自分なりの日本語でのヒップホップをやっている、と思う。それこそ正に為末氏が自分自身でツイートしている「あるジャズシンガーが、ジャズを真似していてうまくいかなかったけれど、日本風のジャズを作ればいいんだ」みたいなことを多くのラッパーが実践していますよ。もちろん中にはアメリカ人の真似事に終始している人もいると思うけれど、どうせそんな奴は表に出てこないし、俺の耳に届くことはない。ダサイから。

 話は逸れますけれど「憧れの人」云々の話に関しては別に憧れの人を持つことくらいよくね?って思う。ていうか、勝手に知らんうちに憧れているもんだよなあ。憧れるのはやめろ!ってのはちょっと違うかなあ。ただ、再三述べているように憧れの人と同じように振る舞ったり、対象の人のような思考を持ったりすることはあんまりよろしくないと思う。やっぱり、いくら頑張ったとしても当人はその憧れの人にはなれないわけだし。インプットを自分の中で消化、昇華してアウトプットするべき、という点は正しいと思う。