他人に対する「嫌い」と「苦手」

私の嫌いな10の人びと (新潮文庫)


少し前まで「この人嫌いだわー」とずっと思っていた人がいたんだけれど、最近はその人が「嫌い」なのではなくて、ただ単純に「苦手」なだけということに気付いた。まあ、「あなたのことが苦手です」と言われて気分を良くする人はいない、というか大抵気分を害してしまうと思うのだけれど、少なくとも「あなたのことが嫌いです」と言われるよりは幾分はマシかな、と。また、こちらとしても「嫌い」ではなく「苦手」だと気付くことによって、その人に対する見方/接し方というのは随分と変わる。「嫌い」の場合だと一挙手一投足、全ての言動が気に食わない。「苦手」の場合だとそうでもない。



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俺の場合、ヘイト値がある一定量貯まると、その人を「嫌いだ」と見なしていると思う。自分の倫理観、道徳観、価値観、考え方etc...からかけ離れた言動を見るにつれ、ヘイト値は蓄積される。また、自分に対する不条理な攻撃(誹謗中傷、暴力等であって、ある程度理解できる批判、指摘等ではない)によってもヘイト値が蓄積される。あとは、礼を失した態度など。それらのヘイト値が閾値を越えると「嫌い」になる。ヘイト値の定量化はできないけれど。こんな感じで「嫌いな人」が出来あがっていく。そうなれば、何を言おうが、何をやろうが、全てが気に食わなくなる。まあ、良くは無いとは思うんだけれど。

しかし、自分の価値観とか道徳感の変動や、不条理な攻撃と受け取っていた言動への捉え方の変化により、ヘイト値が解消され、嫌いではなくなっていくというケースも往々にしてある。また、ヘイト値は「あまり知らない人」のほうが溜まりやすい。良く知っている人、友人については、ヘイト値は溜まりにくい。とはいえ、一つの言動でヘイト値がカンストする場合もある。




「苦手」という場合は「嫌い」とは大きく異なる。ただ単純に性格的に合わないとか、言動なども納得できるけれど高圧的な感じだったり、やけに辛辣だったりすると、「苦手やわー」って思う。思うだけ。まあ、あまりに違いすぎると「嫌い」になったりするのかもしれないけれど。そこらへんは曖昧かな。



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「嫌い」と「苦手」は混同しがちではあるけれど、そこらへんの見極めはちゃんとしたいね、と思ったり。上でも述べたけれど「嫌い」というフィルターを通してしまうと、その人の言動にバイアスがかかってしまい「うぜぇ」「気にくわねぇ」とかなりがちだから。逆に「苦手」というフィルターの場合はあんまりバイアスはかからない。というか、苦手というのはただの印象でしかないから。