おれは写真を撮って、その写真をインターネット上に公開している。このブログやその他いろいろなところで。写真は色々と撮るけれども、最近はストリートスナップが主だ。街中を普通に歩いている人たちにカメラを向けて撮影している。そして、その撮影の許可や公開の許可を当人にいちいち取りつけているかというと、両方取る場合もあるが、大抵は取らない。無断でやっていることだ。もちろん、被写体になっていただいている方々には敬意を払っているつもりだし、その写真でその人の名誉や諸々を傷付けないように作品を取り扱っているつもりだ。ただし、これは詭弁と捉えられても仕方がないと思っているし、ただの言い訳でしかないだろうと他人から思われることも重々承知している。盗撮じゃないか、と言われたこともある。いい写真を撮りたい。そして、その写真を多くの人に見てもらいたい。しかし、そういう欲のためにモデルでもなんでもない、普通の人達を無断で利用しているだけじゃないか、とも思う。
「声かけ写真展」なるものが開催され、そしてそれに対する批判が殺到している。少女の写真を展示はおろか、販売までしている、ということで。下着が写った写真もあるみたいだ。最も多い批判としてはロリコン/ポルノ商売じゃないか、といったもの。また、判断能力が未熟な少女への合意取り付けや、無断の公開といった批判もある。もちろん、単純に気持ち悪い、という声もある。おれ自身としてはこの写真展の展示は児ポに近いものであると思うし、それを販売するのもNGだと思うし、感情的にも気持ち悪いとも思うので、アウトという判断をしている。
おれ自身とこの写真展の撮影者は志が全く異なる。それだけはハッキリと断言できる。アートだのアートじゃないだのなんだのではなく、おれは単純にかっこのいい写真を撮りたくてやっているが、一方は悪意と性的欲望丸出しで写真を利用しているにすぎない。全くの別物である。が、この行為を「暴力」であるととらえた場合、程度の差こそあれど、同じなのではないかと思ったりもする。こちらから一方的に有無を言わさずカメラを向け撮影をする。おれと被写体の関係性において、それが適切なものであるか。おれは「適切である」と断言できない。撮影をしながら「自分のやっている行為は暴力のようなものだ」とふと思う時もある。そういった、暴力性において、被写体との関係性において、おれはこの撮影者と同一視されることを完全に否定できるだろうか。一方的に拳を振り上げている、同一な行為ではないだろうか。そう思ったりもする。
おれがやっているストリートスナップという写真のスタイルについて、完全な首肯はできないし、完全に正しい行為であるとも思わない。だから、自分の中で色々と誤魔化したり、言い訳をしてみたり、キツさを感じたりしているが、それでも続けている。だけど、こういう事件/出来事に遭遇してしまうと、本当に心が折れそうになるし、写真を撮ることを辞めたくなってしまう。変な例えになるのだけれど、自分の顔の醜い部分を過剰に映す鏡を覗いたような気分になっている。