家にスーパーファミコンが来た夜

 このところあんまり見ない気がするのだけれど、ふとこのコピペを思い出した。

やあ (´・ω・`)
ようこそ、バーボンハウスへ。
このテキーラはサービスだから、まず飲んで落ち着いて欲しい。
うん、「また」なんだ。済まない。
仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。
でも、このスレタイを見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない
「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。
殺伐とした世の中で、そういう気持ちを忘れないで欲しい、そう思って
このスレを立てたんだ。
じゃあ、注文を聞こうか

 ここでいう「ときめき」ってのは最近感じることがずいぶん減った。年を食ったせいでいろんなことを知ってしまったというのもあると思うし、感受性が鈍ってきている可能性もある。それとも殺伐とした世の中だからだろうか。だからといって、若返ることなんてできやしないし、感受性を鋭く磨く術があるかどうかは知らないけれど少なくとも俺は知らない。なんだろうなー。こう、胸が高鳴って、目がキラッキラ輝いてしまうような事柄がとんと少なくなってしまったように思える。仕方がないといえば仕方がないし、ある意味無いものねだりともいえる。もちろん、色々と環境を変えたりしたら、そのような状態になれるのかもしれない。

 ゲームで「ときめきメモリアル」ってあるけれど、恋とか云々の話でも何でもいいんだけれど、各々の人が人生を歩んで行く中でそれぞれのときめきメモリアルはあると思う。無い人はいないと思うし、もしいたとしたら寂しすぎる気がする。だけど、俺はそれほど寂しい人生ではないので個人的なときめきメモリアルは結構ある。初めて野球場に行った時とか、ギター買った時とか、初めてハイロウズを聴いた時とか、レンタルビデオのアダルトコーナーに入った時とか。で、スーパーファミコンが家にやってきたときは相当ときめいた。人生で5本の指に入るほどのときめきかどうかはわからないけれど、少なくともTOP10に入ってもおかしくないと思う。

 今でこそ自宅にはプレステ3とかニンテンドーDSなどのゲーム機はあるけれど、当時小学2年生の俺の家にはゲーム機がなかった。ファミコンをやるのは近くの友達の家。ずっと欲しい、欲しいって親にねだっていたんだけれど、買ってもらえずじまいだった。ところが、ある日何のきっかけだか今となっては忘れてしまったんだけれど、仕事を終えた親父の片手にスーパーファミコンの箱が掲げられていた。もう、とんでもなくときめいた。これが!あの!あれか!!!みたいな。そんな感じ。ソフトも買ってきていてそれは「マリオカート」だった。子どもが初めて買ってもらうゲームソフトって結構大事だと思っていて、それがクソゲーだったとしたらもう目をあてることもできないのだけれど、スーパーファミコンのゲームソフトの中でも屈指の名作をチョイスした親父はマジでグッジョブだと思う。

 テレビの端子とゲームの端子を結び付け、アダプタをコンセントに指す。2014年の今存在するスーパーファミコンの本体はほとんどが黄ばんでいると思うんだけれど、新品でピカピカなマットグレーの機体。ピカピカでマットっておかしな言い方だけれど。カセットをガチャリと指し、電源を入れる。今までドラマだとか野球だとかバラエティだとか映画だとかアニメだとかしか映らなかった家のブラウン管のテレビに色鮮やかなドット絵と電子で作られた音楽が流れた瞬間のときめきは今でも覚えている。当時は21時だか22時だかに眠らなきゃいけなかったんだけれど、ずいぶん遅くまで起きて50ccのキノコカップをやり続けた。そして、次の日は親がまだ寝ている5時とか6時に目を覚まして延々とブラウン管の中のカーレースに興じていたと思う。そのうちやりすぎて、アダプタを隠された。

 特にオチはないんだけれど、こーいう風なときめきって最近あんまりないなーって思っただけです。まあ、無くは無いんだけれど、昔ほどじゃないと思う。あと、昔はすげー早起きしてゲームやったりしていたんだけれど、今はそんな気力も何もないなあ。ていうか、これ書いてたらマリオカートやりたくなってきた。今WiiとかDSとかで出ている最新版ではなくスーパーファミコンの初代。それもバーチャルコンソールとかではなくちゃんとスーパーファミコンで。一人じゃ寂しいから誰かとやりたい。