Hey it's a beautiful day

「枕が変わっても やっぱりするこた同じ」というのはユニコーンの"大迷惑"の一節だけれど、それと同じ*1ように、いつどこで写真を撮っても同じ様な写真しか撮らない。いや、撮れないが正しいのかな。こないだの連休中に神戸に帰って、ついでに京都に行ったりしてた*2ので、いつもと同じように写真を撮って、いつものようにブログにのっけたりした。それがこれら。

20150919 - K Diary
20150920 - K Diary
20150921 - K Diary
20150922 - K Diary


なんか普段東京にいる時と変わらないような写真を撮っているなー、と自分で思う。もちろん、これら以外にも写真はいっぱい撮っていて、いかにも神戸!京都!な写真も撮ってはいるんだけれども、なんかのっける気にならないというか。そして、これが悪いことなのかというと、別に悪いことでもないと思っていて、自分で撮りたい/見せたい写真というのがわりとハッキリしている、というのはそれはそれでよいのじゃないかな、と思う。去年、イタリア行った時の写真をのっけたりしたけれど、同じ様な感じだったしなあ。




神戸に帰った時に高校の同級生と会った。ハゲているヤツもいれば、太ったヤツもいるし、逆に痩せたヤツもいる。結婚しているヤツもいれば、子どもがいるヤツもいる。昔、お付き合いしていたYちゃんは妊娠していた。10年ちょっと経てば変わるもんだ。ほとんどのヤツは高校卒業してから関西に住み続けている。一方、僕は東京に出て行った。時々、考える。あの時、関西の大学を選んで神戸に残りつづければ、どうだっただろうか、なんて。おそらく、今のカミさんとは結婚していないどころか、出会ってすらいないだろう。今の会社にも入っていないだろう。

そんじゃあ、それ以外で何か変わっていただろうか?関西に残っていたらロックスターになれただろうか?それとも優秀なサラリーマンになれていただろうか?今よりもっともっと充実した毎日を送れていただろうか?はたまた、今よりもっとひどい生活を送っていたかも?そういう正に無駄としか言いようがない妄想をたまにしてしまうのだけれど、多分あんまり変わらないんじゃないかなあ、と思う。東京に行ってようが、関西に残っていようが、環境はもちろん変わると思うのだけれども、今と同じような感じなんじゃないかな、と思う。今と同じように仕事ダルがっているだろうし、音楽は相変わらず好きだろうし、インターネットも大好きだろう。考え方とか思想なんてものもそれほど変わらないと思う。どうだろうな。そうでもないかなあ。でも、なんとなくだけれどやっぱり変わってない気がする。

これは僕がどこに行っても同じ写真を撮って、そして公開するのと似ているのかも、と思う。住む場所/付き合う人/環境という枕が変わってもやっぱりすることは同じだと思う。どちらにせよ結局、きっと僕は町の外れでシュヴィドゥヴァーしているだろう。

*1:かというと微妙だけれどまあいいや

*2:人が死ぬほど多くて死んだ