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デイリーヤマザキのハムカツが旨かった

 普通、こういうメシ系の文章には写真がつきものなのだけれど、写真はありません。なぜなら撮っていないからです。普段は写真撮ってるくせになー。なー。

 昨日の帰り道に腹がすいたのでデイリーヤマザキでハムカツを買って歩きながら食べた。まるで中高生のようだが、おれはいまだに帰り道で買い食いしたりしてしまう。割とそれで腹がいっぱいになることもよくある。まあ、そんなことはどうでもよい。ハムカツの話だ。おれはハムカツに執着しているほどではないけれど、わりかし好感を抱いている存在だ。ただ、愛すべき存在であることは間違いない。そう、それは愛。そんな、愛すべき存在のハムカツがデイリーヤマザキに居た。デイリーヤマザキのレジ横のホットスナックのショウケースの中でコロッケや、メンチカツや、鶏の死骸を小麦粉で纏って揚げたやつとともに、ひっそりと佇んでいた。ところでこれは余談なのだけど、コロッケという存在に対してもおれはかなりの好感を抱いている。友達のようで、他人のような、そして家族のような。そう、つまりこれもまた愛。ふたりはプリキュア。閑話休題。腹が減ったおれはその時ロールパン(お店自慢のロールパンだそうだ。ここのデイリーヤマザキはお店でパンを焼いている。意識が高い。)をトレーにのせていたのだが、ハムカツの存在を認識した瞬間、ショウケースにパンを戻した。ごめんよ。また今度食べるから、と言ったかどうかは忘れたが、ハムカツを見た瞬間、おれは気分がハムカツになったのだ。気分がハムカツになるとはどういうことかというと、つまりはそういうことで、なかなか愛想のよさそうな店員に「あの、すみません、ハムカツを一つ」と告げるということだ。おれは108円を店員に渡す。ハムカツを置いてくれてありがとう、という気持ちとともに。そう。ハムカツというのは居酒屋なんかにはあったりするのだが、なぜだかコロッケやメンチカツよりもマイナーなのだろうか、コンビニやスーパーにはあまり陳列されていない。以前、セブンイレブンでもハムカツが売られていた。非常に分厚いハムカツでなかなかうまかったのだけれど、あまりにも分厚すぎておれの脳が「コレハハムカツデハナイ」といった感じで拒否しだしたので、結局2、3回しか食べていない。そのうち、ショーケースから姿を消してしまった。そんな扱いの悪いハムカツをデイリーヤマザキというコンビニエンスストアはしっかりと取り扱ってくれている。あまりの意識の高さに卒倒してしまいそうになる。108円と引き換えにおれはハムカツを受け取った。その時、店員がおれに「ソースはお付けになられますか?」と尋ねた。コロッケやメンチカツなどを買った場合でもそうなのだが、このソース問題というのは少し厄介なものなのだが、おれは買い食いするような時にはソースは使わない。手についてベタベタしそうになるし、ソースをつけると食事感というのが出てくる。おやつとしてのハムカツやコロッケをおやつたらしめているのは、ソースが存在しない、という部分が非常に大きいと思うのがいかがだろうか。無論、異論は認める。あくまで、おれの個人的な意見でしかないのだから。そんなわけでおれは店員に「いえ、ソースは結構です」と告げた。

 ハムカツを手に取り、おれはデイリーヤマザキを出た。そして、ガサガサと音を立てながら袋から取り出す。ついにハムカツはおれの前にその姿を見せた。ショウケースの中にあったハムカツはおれの手の中。早速、一口いただいた。口の中でサクッという音を立てた――その刹那、爆発した。旨さが――爆発したのだ。ほどよく揚げられた衣のサクサク感。油と少しだけ厚くそして安っぽいハムとのハーモニー、いや、もはやジャムセッション。そして、絶妙にジャンクな味付け。完璧だった。理想的なハムカツがいまここにある。何か一つ欠けてもこのハムカツは成り立たないだろう。まるでビートルズの4人ような、ゆらゆら帝国の3人のような、そんなパーフェクトな存在におれは感動しながら、すぐに平らげてしまった。掌に残ったは少しの衣とハムカツを包んでいた紙袋と愛。これだけで満腹にはならなかったが、それ以上の満足感があった。

 家への道を歩きながら、おれは白い息を吐いて冬の空を眺めた。そこにはおれとハムカツを抱く宇宙の姿があった。