読んだら、なんだか吉祥寺のことを書きたくなったので書く。昔、吉祥寺に住んでいて*1、20代前半の日々の大半を吉祥寺で費やし、吉祥寺で音楽をやって、吉祥寺で酒を飲んで、そして吉祥寺を離れた今でも2~3週間に1度は吉祥寺に足を運んでいる。おれの出身は神戸で、人格形成や趣向や嗜好や志向や思想などは神戸という土地で培われたものがベースにあると思う。だが、吉祥寺で培われたそれらもおれの人生においては神戸と同等、いや、もしかしたらもっと大きなベースを占めているかもしれない。おれにとっては吉祥寺というのは切っても切り離せない場所で、吉祥寺で過ごした日々がなければ、現在のおれでは無かったと言い切ってもいい。おれは吉祥寺という街の佇まいそのものやカルチャー的な側面なんかもそれはそれで好きなのだけれど、結局は吉祥寺にいる人たちが好きだった。例えば。おれが渋谷を中心にたむろしていて、渋谷にいる人たちと付き合っていれば渋谷が好きだっただろうし、小岩にいる人たちと付き合っていれば小岩が好きだっただろう。それ以外にも吉祥寺に対しては「自分の青春(のようなもの)を費やした土地」という意識がある。今でも吉祥寺は好きな街だし、自宅からのアクセスも良く、自転車でも行けるのでしょっちゅう行くのだけれど、それは青春の幻想を追っかけている感じがするというか、モラトリアムへ回帰したい、みたいな気持ちとかが少しばかりあるからなのかもしれない。カネが無くて井の頭公園とか洞くつ家の隣のファミマ(当時はampmか)とかで缶ビール飲んだりしていた時とか、深夜の路上でだらだらしゃべっていた時とか、そういった吉祥寺で過ごした日々に対して変に幻想を持ち過ぎなのかもしれない、とも思っている。そう考えると吉祥寺が好きというよりも、吉祥寺から離れられていない、と言ったほうが正しいのかもしれない。それはカッコ悪いといえばカッコ悪いことだな、とコレ書いていて思った。まあ、だからといって吉祥寺行かなくなったりはしないが。
ちなみに東京の街は吉祥寺以外だと神保町が好きだ。
*1:駅から徒歩25分なので吉祥寺と言い切っていいのか微妙なところではあるが