「批判よりも提案を」という人間を信用してはならない

ここ最近、テレビを見ているとセールスフォース社のcmがよく流れてくる。

聴き心地の良いLo-Fi HIP HOPなサウンドに様々なメッセージを乗せており、パッと見は良さそうなCMだと感じる。だけど、俺はこのCMの中の「批判よりも提案を」というフレーズで毎回ゲボを吐き散らかしてしまう。

「批判よりも提案を」とか「反対するなら代替案を出せ」。これらはインターネット(特にTwitter)をやっているとしばし見かける言葉である。しかし、様々な意味で問題のある言葉であるように思う。


「批判よりも提案を」とか「反対するなら代替案を出せ」というのは「提案をしないのなら黙れ」「代替案を出さないのならば黙れ」という意味と同義である。前者のような表現であれば多少合理的なように思えるが、後者はどうだろうか?横暴そのものではないだろうか。そんな横暴な人間に対してたとえ提案を出しても、それを聞き入れる度量など存在するのだろうか?割と「うるせぇ、黙って俺のいう事聞いてりゃあいいんだよ」というオチになりがちなんじゃないだろうか。こういう言葉を使う人間が本当に代案が欲しいのでは無い。彼ら本当に欲しいのは沈黙と盲従である。


往々にして議決権はこの言葉を使う側が持っていることも問題だ。最初に案を出すことができるのも相手側にあり、最終的にどの案を採用するかは相手側にある。その点において決定的に非対称を孕んでいると思う。結局のところ、この言葉を使う人間というのは権力者とマジョリティー、そしてそれらにすり寄る側の人間なんだよな。


ごはん屋に言って、クソ不味いメシが出てきたとする。客が料理人に「マズい。食えない。」と言うとする。それに対して料理人が「文句言うんじゃねぇ!!!じゃあ、お前が作れよ!!!」って言ったとしたらどうだろう。その料理人、アホだと思わないだろうか。メシを作るのは俺の仕事ではなく、お前の仕事だろうが、と。代替案を出すのは俺ではなくお前だ


ということを書いたりすると「じゃあ批判されたら!反対されたら!どうするんだよ!!!」と駄々っ子のようなやつが現れるけれど、どうすればよいかは明白で「批判や反対を受け入れる」ということである。

受け入れた上でどうするかを自分で考えろ。具体的にどこが問題なのか、どこに反対なのかをヒアリングしてもよいだろう。それで再度提案をしろ。代替案を出せ。良くなるように一緒に考えてもいいよね。批判されても反対されても、その良さを兎に角理解してもらえるよう、納得してもらえるように頑張ったっていい。もちろん多数派の暴力や権力を以て無視して押し通すこともできる。


追記: 読み直したら、料理の下りは詭弁だったな...!とはいえ、消すのもアレなので残しておこう...。