のり弁について

普段、弁当屋に行くことはあまりないのだが、たまにオリジン弁当やほか弁などに行くと、ほぼ必ずと言っていいほどのり弁を注文する。理由としては安いし、旨いし、という点ももちろん挙げられるのだが、一番の理由はのり弁から溢れ出る「絶妙な雑さ」に惹かれるからだ。

白米に鰹節をふりかけ、それを海苔で覆う。ここまでは分かる。「のり弁」という名前らしさがある。しかし、その上に何の脈絡もなくのっかる白身魚のフライとちくわの天ぷら。これです。おれ、この組み合わせ考えた人天才だと思う。どうして、このような組み合わせになったのか知る由もないのだが、脈絡の無さ、雑さ、みたいなものがほとばしっていて、最高じゃないか、と感じる。この脈絡の無さや雑さというのはおれが好きなコロッケそばにも通ずるものがあると感じている。そして、おれはこういう雑な感じのメシが好きだ。もちろんただ雑なだけではなく、絶妙な雑さ。これが必要だ。この話、分かる人には分かると思うのだけれど、分からない人には一生分からないと思う。しかし、分からなくても全く損はしない話ではある。

のり弁は弁当屋以外にも、出来合いのものがスーパーやコンビニにも売っていたりする。そういうところで弁当を買う時もやはりのり弁を選ぶ、かというとそういうわけではない。出来合いののり弁はなんとなく「ちゃんとしすぎている感」があるのだ。人の温かみがない、というと言い過ぎかもしれないが、弁当屋で作られているそれとは少し違うような気がして、どうしても別のものを買ってしまう。

さて、先日おれが住んでいる町にオリジン弁当の店舗が開店して、いそいそとのり弁を買いに行った。家に帰って、のり弁のフタを空けてびっくりしたのだが、白身魚のフライがでかいやつが一個ではなく、小さいやつが二個入っていた。そして、パッケージもなんだか細身になっていてスタイリッシュになっていた。当然、味は変わらないのだが、なんというか全体的に雑さが失われているような気がした。具材はそれほど変わらないのだが、なぜだかちゃんとしすぎているように感じた。

のり弁はテキトーであればあるほど良い、とおれは思う。それは屋台のラーメン屋が別に全然旨くなくとも、だからこそ良い、というのと似ている。