エンターテイメント性のない野次

こないだの日曜に西武ドーム阪神vs西武の試合を観に行った。阪神ファン的にはとても酷い試合だったので、僕は途中で帰ったんだけど、ちょっと気になったことがあったので書く。

阪神ファンというとなんかあんまり良いイメージじゃないというか、DQNの巣窟的なイメージを持たれがちだけれど、そういう奴はほんの一部しかいなくて、大抵の人は普通だ。僕自身は野次というか「マジふざけんなよー」とか愚痴を思わず言ってしまったりするんだけど、しょーもない野次を何回も何回も大声で飛ばしたりする奴もたまにいる。んで、こないだの西武戦に行った時に前に座ってたやつがそーいう奴だった。

野次というと自分のチームの選手や相手チームの選手、相手チームのファンに向けた言葉であることが多い。でも、結局そういう野次った言葉というのは、大抵の場合本人たちには聴こえない場合がほとんど。選手と距離が近かったら聞こえるかもしれないけれど。んで、そういう野次の言葉を誰が聞くのかというとその周りにいる観客。その野次が笑える奴だったらまだ良いんだけれど、ただの小汚い野次だったら単純にうるせえし、つまんねえし、黙れよ、と僕は思ったりしてしまう。それを聞いてんのはヤジへの対象じゃなくて俺らなんだよという感じ。こないだの奴だと西武ってチャンステーマとかの時にジャンプしたりしてんだけれど、でけえ声で「ジャンプが揃ってないんだよおおおお!!!」などと汚い声で叫んでたんだけれど、つまらないし、そもそもそういうもんだから。黙っとけ、と思った。あと小宮山という、ここ数年イマイチな選手がいるんだけれど、その選手が練習しているだけで、アホみたいにデカイ声で「お前がおったら負けるんじゃー、鳴尾浜*1いけええええ!」と叫んでて、やっぱりつまらないしうるさいだけだから死ねと思った。その他、色々と野次りまくってたんだけれど、ことごとくつまらなくてうるさいだけで、ひとつも笑えるような面白い野次を飛ばさないもんだから、もうマジでこいつは無価値なスピーカーだな、と感じた。

野次への美学とかの欠片もない奴は黙ってろよと思う。美学ってなんだよ、って感じだけど。なんだろう。デカい声で野次るという時点で「人から見られる」という一種の舞台に立ってると思うんですよね。舞台というと大げさかもしれないし、本人にそういう意識は無いと思うんだけれど、僕は少なくともそう思う。人から見られている聞かれている、という意識が前提にあるからこそ、ああいうデカイ声で叫んでいるんだと思うし。デカい声で人に聞かすんだったら、なにかしらプラスの作用に働く言葉を言ってみろ。おもしろくなくて、小汚いだけの野次はいらない。うるさいだけで、迷惑且つ不快だ。

思わず大きい声で叫んでしまう、というのは仕方ないと思う。

*1:阪神の二軍がある場所