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『なんでコンテンツにカネを払うのさ?』岡田斗司夫、福井健策

なんでコンテンツにカネを払うのさ? デジタル時代のぼくらの著作権入門

なんでコンテンツにカネを払うのさ? デジタル時代のぼくらの著作権入門


2011年出版なので少し前の本だが、古本で買って読んでみた。想像していたのと内容が少し違ったが、興味深い内容でおもしろかったので、ちょっと感想でも。とはいっても、読み終わったのが一週間近く前なので記憶が薄れかけている。なのに、何故感想なんか書こうとしているかというと、他に書くネタが無いので。ちなみに昨日はアホみたいに忙しすぎて書く暇なかった。

本書は岡田斗司夫氏(肩書きが多すぎる)と福井健策(著作権に詳しい弁護士)による対談という形で著作権に絡めて、電子書籍の自炊やら、海賊版(ブート)の作品やら、将来のクリエイターの生き方/生活やら、同人誌などの二次創作についてやら、ウェブ上でのプラットフォームで様々な作品を発表することについてやら、、、等が語られている。当然、中には憶測、妄想、希望などが語られていて、特に岡田氏の発想がぶっ飛んでいる感じでおもしろかった。

3年前に出版された本なので書評もいっぱい出回っていると思うし、詳しい内容についてはそちらにお任せすることとして、個人的に印象に残ったところだけを紹介。あと、上でも書いたけれど内容忘れかけなので。ちなみに引用はうろ覚え。


今の本屋はマンガをラップして立ち読み禁止したことで売り上げが下がった

本当なの?ソースは?とは思うものの、これは興味深い(メガネクイッ)。2000年代の頭らへんまではマンガを立ち読みできる本屋というのがまだまだ多かった。しかし、今となっちゃほとんどの本屋でマンガはラッピングされていて、立ち読みできない状態。立ち読みされることにより、コンテンツがタダで消費されてしまい、購入される機会が減ってしまう、という考えの下でマンガのラッピングが始められたのだと思う。しかし、立ち読みを禁じたところ、逆に売り上げが減ってしまった、と。

今思うと、立ち読みをきっかけに買ったマンガが多いなあ。最近は昔ほど貧乏じゃないので、「あ、おもしろそう」と思ったマンガは結構気軽に買うが、カネが無かった時代はそうじゃない。慎重に選んで、どんな内容なのか吟味した上で、マンガを買っていた。んで、立ち読みは吟味する上で重要なポイントでもある。立ち読みができないせいで、スルーしてきた漫画も沢山あるはず。

まあ、これはあくまで俺の話なんだけれど、要は「作品への入口が多けりゃ多いほど良い」ということなんじゃないだろうか?当然と言えば当然なんだけれど、なかなか気付く機会が無い。中身をちゃんと確認できた方が、購入のきっかけになる事は多いだろう。なんというか、「買うから知る」ではなく「知っているから買う」という、人がコンテンツにカネを払うトリガーを気付けていないよなあ、と思った。


創作だけで食っていこうという態度が真面目じゃない。

俺なんかは真面目じゃなくてもいいんでないの?創作だけに打ち込める環境って最高じゃない?とは思うが、それは社会の余剰があるおかげでできている事は間違いない。ただ、岡田氏は、生活を支える仕事をした上で余暇を使っての創作活動がベスト、というような事を言っていて、それも分からなくは無い。自由にやりたいのならば、そのスタイルがベストだと思う。あと、そういう人が増えた方が消費者にも優しいよなあ、とは思う。もし、今俺が曲を発表するとしたら完全フリーでリリースすると思う。なぜなら、見返りを得ることよりも聴いてもらう方が重要だし、見返りを得なくても生活基盤が既に固められているから困ることはあまり無い。んで、そういうスタンスな人って結構多いと思うんだよなあ。

ただ、そういう人が増えて、創作でメシを食っている人が減っていくと、福井氏が言うように「作品のクオリティの低下」という点が心配ではある。当然、アマチュアが生活の一部として発表する作品よりも、仕事として発表された作品の方がクオリティは高くなる。時間と金という、作品に注ぐリソースがケタ違いなので仕方ない。アマチュアが表舞台に多く立ち始めるのは悪い事ではないが、そういう人ばかりになってしまうと、消費者側としたらちょっと物足りない感じになってしまうのは否定できないんじゃないだろーか。


作品を発表するプラットフォームがアメリカに支配されている

今や誰しもがそれで食う・食わないを問わなければクリエイターになれる。文章も発表する事も出来れば、映像も発表もできるし、音楽だって発表できる。ウェブ上のプラットフォームがあれば。しかし、そのウェブ上のプラットフォームが悉く米国製であることを福井氏は危惧している。

ウェブ上で発表した作品がプラットフォームの運営に好き勝手に利用されたとしても、法律はアメリカのものが適用されるケースが多いらしいし、利用規約にもそういう事が書かれているケースも多いらしい。んで、作品を発表するプラットフォームのルールは一種のグローバルスタンダードでもあるため、一方的に従わざるを得ないし、日本人などの海外ユーザの意見は反映されるのか?などなど、不安な一面もあったりする。

過去にmixiが「mixi上で投稿された発言etcの利用権限はmixi側にあり、好き放題使える」的な利用規約を発表した時に大反発があったけれど、それと同じ動きが、例えばUstやYouTubeであった時に日本人の声はアメリカに届くだろうか?個人的には届いてほしいところだが、難しいとは思う。仮にそれに反発したとしても、大きなプラットフォームが使えなくなるというのは、クリエイターにとってもかなり痛手なんじゃないだろーか。



ざっくりと印象に残ったところだけ。なかなかおもしろかった。