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主張や行動やアウトプットと人物を分けて考えるようにしたい

俺が炎上必死で倫理的にもNGっぽいエントリを書いたとしたら、おそらく案の定ボコボコに叩かれたりするだろう。んで、「僕の意見はこうだ」とか「ワタシはこう思う」など、そのエントリに対する意見も書かれたりするが、大抵は人格攻撃が主だったものだろう。「マジこのファッキンアスホール、地獄に堕ちろ」とか「マザファッカ、サノバビッチ」といったような、その人物への罵倒、攻撃。アウトプットの先に見える、人間を攻撃することが多い。

こないだの星井七億さんの炎上が典型的だな、と思った。確かに最初のツイートは誤解を生みやすいものだったし、それを自己弁護するためにブログに長々と書いたのも悪手だったと思う。ただ、個人的にはそこまで叩くものか?と思ったけど、とりあえずそれは置いといく。けど、まあ叩かれるのはしゃーない。インターネット上に文章発信してりゃあ、多かれ少なかれそーいうことはある。ただ、叩くなら「その文章」というか「行動」や「主張」だろう。最初のうちは「その文章」が叩きの対象だったが、炎上の終盤になると「その人物」が叩きの対象になり変わった印象。それって何か違うくね?と思ったりする。



ちょっと話が異なるが、俺の好きなミュージシャンの一人にCorneliusというミュージシャンがいる。元フリッパーズギター小山田圭吾がやっているユニットだが、彼が作る音楽は素晴らしく、個人的に非常に影響を受けた。んで、何年か前に彼がいじめに加担していたというインタビューが雑誌に掲載されていた。その内容は反省などとは一切無縁な内容で、まるで楽しかった思い出話であるかのような内容だった。んで、当然めちゃくちゃ叩かれていた。そりゃそうだ。

ただ、その事実を知ってファンを辞めた人もいたそーだが、それについては違和感を感じた。え?君はCorneliusの作る音楽が好きなの?小山田圭吾という人物が好きなの?どっちなの?って思った。俺はCorneliusの作る音楽、即ち彼のアウトプットが好きだったので、別にその事を知っても聴き続けるつもりだったし、実際今も聴き続けている。たとえ、彼が歪んだ性質を持った人物だとしても、それによって彼の音楽がクソゴミ音楽になるわけでもないだろう。

誰もが認める人格を持った人物がいたとしたら、その人はめちゃくちゃ素晴らしい音楽を作るのか?クソみたいな音楽作っているやつは、悪人なのか?素晴らしい音楽を作っているやつは、同じように素晴らしい人間なのか?

叩かれ、炎上し、倫理的にもおかしいようなエントリを書いている人物は全て悪人なのか?ゴミ人間なのか?カスなのか?

俺の文章が嫌いな奴もいるだろうし、俺の書くことに納得できない奴もいるだろう。俺は確かにゴミ人間かもしれないし、クソ野郎かもしれない。だけど、俺の文章が嫌いな人でも、実際リアルで会えば握手できるかもしれないし、仲良くなれるかもしれない。逆に俺の文章が好きという特異な人もいるかもしれないが、実際に会った時に「こいつマジでクソ野郎じゃねえか」という風に感じるかもしれない。



そういうもんだ。アウトプット、行動、思想、主張だけでその人物は判断できないし、その逆もまたしかり。



ただ、どこまで「人物」と「行動」を切り離すかというのも自分の中の基準ではあいまいではあるけれど。先の小山田圭吾の例で言うと、俺は「小山田圭吾」と「彼の作る音楽」を切り離して考える事が出来たけれど、「小山田圭吾」と「いじめという行動」を切り離して考える事が出来なかった。つまり、その行動で彼の人物、人格を評価してしまっている。難しいとこではあるなー。まあ、いじめは最低の行いだとは思いますけどね。だけど、それでも彼の音楽はやはり素晴らしいと思う。