最近思うんだけど、今の日本って金かけなくても十分幸せになれますよね。牛丼とコンビニ飯はお世辞抜きにうまいし、銭湯行けばリフレッシュできるし、ネットフリックスとFire TV Stickあれば1日中楽しめる。人生どう転んでも結構楽しめるなと思ってから生きるのが本当に楽になった。
— yuuu (@ad_career28) 2019年1月13日
こういうのって結局は古市憲寿とか上野千鶴子的な勝ち組ネオリベ思想でしかないし、お金稼がなくてもよくね、経済成長いらなくね的な論というのは、実際に金の持っていない層にしてみたら呪いにしかならない https://t.co/wM5qf53FMn
— xKxAxKx (@xKxAxKx) 2019年1月15日
金がなくて「そうせざるをえない層」があれこれしたい、という欲に対して、「これで十分だから、そうやっていけ」的な抑圧になると思うんだよな
— xKxAxKx (@xKxAxKx) 2019年1月15日
つーか、元ツイの人のツイート遡っていくと、しばしば良さげなもの喰ってツイートしてて、どの口でほざいとんねんって思うわ。結局こういう意見って、持ってる側からしか出ねえんだよ。
— xKxAxKx (@xKxAxKx) 2019年1月15日
おれは上野千鶴子が言うような「賃金が上がらないといっても、外食せずに家で鍋をつついて、100円レンタルのDVDを見て、ユニクロを着ていれば、十分に生きて行けるし、幸せでしょう? 」的な論*1はマジで害悪でしかないと思っていて、それは上に挙げたツイートの通り、本当に「そうせざるを得ない層」にとって呪いや抑圧の言葉にしかならないと思っているからだ。この論を突き詰めると「貧乏人は貧乏人らしく何も望まず、最低限の暮らしをしていけ。それで十分幸せだろう?」という話になると思う。っていうか、「十分幸せになれますよね」って何様なんだよ。本人にとってはそうなのかもしれないけれど、他人の幸福を勝手に手前で定義してんじゃねえよ。金が無いからできない事はたくさんある。そして貧困層の人が金が無いことを理由に断念せざることを得ないことだってたくさんあるだろう。そういう実態があるであろうことは容易に想像がつくことにも関わらず「いやー、金なくても十分やれることいっぱいあるしそれで幸せっしょ」ってお前ふざけんじゃねー、っておれは思う。生活保護で文化的な活動に金をかけることの批判(というか中傷だよ)なんかもこういう考えが根底にあると思っていて、マジでクソ以外の何物でも無い。